かわら版

かわら版vol.21_憲法の平和主義と安全保障

衆院憲法審査会では、先般「安全保障」「憲法9条」がテーマとなりました。今回のかわら版では、その際の私の発言要旨をご紹介したいと思います。

■自民党の憲法9条改正案の矛盾

自民党の9条改正案(9条の2を追加し、自衛隊を明記)について、与党幹事の新藤議員は「自衛隊の法的位置付けは現在の憲法解釈と全く同じ」「必要最小限度の自衛権行使という解釈は引き継ぐ」などと説明しています。

しかし、同じ自民党の石破議員は「自衛隊の存在を憲法に書くだけで何も変わらないと我々は考えているわけではない」と発言し、2人の見解は全く食い違っています。

自民党側の発言は矛盾に満ちていますが、何十年も違憲としてきた集団的自衛権の行使が、ある日突然合憲となるような政権の言うことを、鵜呑みにはできません。

■フルスペックの集団的自衛権は憲法改正の限界を超える

では、憲法を改正すれば、フルスペック(無限定)の集団的自衛権も可能となるのでしょうか。私は、そうではないと考えます。

仮にフルスペックの集団的自衛権を認めることになれば、憲法9条の平和主義は、単に「侵略戦争をしない」というだけの規定となります。しかし、それでは諸外国の憲法と何ら変わりません。ウクライナを侵略しているロシアの憲法にさえ、侵略戦争はしない旨の規定があります。

憲法9条の平和主義は、「自衛」の名の下に行った悲惨で愚かな先の大戦の教訓と反省から設けられたものです。その根幹は専守防衛、そして、海外で武力行使をしないことであり、単に侵略戦争をしないという趣旨ではありません。  

したがって、フルスペックの集団的自衛権は、憲法改正の限界を超えると私は考えます。

■敵基地攻撃能力は武力行使の要件を満たすのか

敵基地攻撃能力について、かねて政府見解では「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」「他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」としてきました。

しかし、日本の防衛は我が国一国、自衛隊だけで担っているわけではありません。米軍が矛、自衛隊は盾という役割分担をどう考えるのか。その役割分担が変わらないとすれば、我が国自身による敵基地攻撃は「他に手段がない」という要件と合致しないのではないか、など疑問は尽きません。

■事実に基づく緻密で冷静な議論を

昨今、ウクライナと日本の安全保障を同列に論じるような発言が相次いでいます。しかし、ウクライナと日本が置かれている状況は大きく異なります。 

例えば、ウクライナは米国と同盟を結んでいません。したがって、米国はウクライナが侵略されても防衛する義務がありません。ウクライナの軍事費は年59億ドルで、日本の防衛費の10分の1程度に過ぎません。ウクライナも日本も核兵器を保有していませんが、日本は米国の核の傘によって、核保有国に対する抑止力を維持しています。

我が国の防衛、安全保障に対する不安や危機感が高まっていることは事実です。しかし、こういうときこそ、私たち政治家や国会は、いたずらに国民感情を煽るのではなく、事実に基づく緻密で冷静な議論を行うべきです。

2022年6月7日