かわら版

かわら版号外_国民分断の「国葬」

本日は午後、安倍元総理の「国葬」が行われます。私は参列しませんが、改めて、お亡くなりになった元総理のご冥福をお祈り申し上げます。

長く総理大臣を務めた政治家の死を、時の政権が安易に政治利用しようとしたために、国民の多数が心を一つにして、静かに故人を見送ることができない状況、いわば「国民分断の国葬」になってしまったことは、歴史に残る失態と言わざるを得ません。

2か月前に私が書いたコラムを再掲し、本日の「国葬」に私が参列しない/できない理由に代えさせていただきます。このときから、私の考えは変わっていません。本当に残念です。

▼政治家の国葬は今の時代に相応しいか

日本社会に大きな衝撃を与えた安倍元総理銃撃事件からわずか2週間、安倍氏の国葬を行うことが閣議決定されました。

結論から言うと、私は国葬に反対です。

ただ、安倍氏が国葬に値する人物か否かを議論することは生産的ではないと考えています。立場によって、見方によって評価は様々で、議論は平行線だからです。

その上で、問題は第1に、根拠も規定も基準も手続きもない「国葬」なるものを、賛否両論あるなかで、さしたる議論もなく短期間で決めてしまったことです。それこそ「非民主的」であり、将来に大きな禍根を残すものです。

そして第2に、安倍元総理であれ誰であれ、政治家という国民の評価や立場が分かれる存在を、国葬という形で国を挙げて弔うという発想とやり方自体が、思想信条の自由や多様な価値観を重んずる今の時代に相応しくないと思うからです。

かつて中曽根康弘元総理は「政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告である」と述べました。

銃撃事件で安倍元総理が非業の死を遂げたことをもって、安倍氏やその政権の評価が損なわれるわけでも、高まるわけでもありません。

憲政史上最長となった安倍元総理、安倍政権は、過去の他の政権同様あるいはそれ以上に、今後十分に検証され、評価を受けなければなりません。

2022年8月1日